みなさんこんにちは!あおな(@aonalog)です。
2019年9月23日、今シーズン限りでの現役引退を表明していたロッテマリーンズ・福浦和也選手の引退試合が、ホームのQVCマリンフィールドで行われました。
福浦選手といえばロッテ一筋26年のアベレージヒッターで、数々のヒットを生み出し2001年には首位打者を獲得、2000本安打も達成しました。
この記事では、そんなロッテマリーンズ・福浦和也選手の経歴と1軍での通算成績について紹介します。
ロッテマリーンズ・福浦和也選手:経歴まとめ
午前10時すぎ、多数のテレビやカメラが待ち受ける中、 #福浦 選手がグラウンドに入りました。笑顔が多く、リラックスしているように見えます。黙々とアップとキャッチボールを始めました。選手、コーチ、スタッフ全員が同じTシャツを着て千葉のレジェンドを送り出します。 #chibalotte #THANK9 pic.twitter.com/B4nEWa36M8
— 朝日新聞ロッテ担当 (@asahichibalotte) September 23, 2019
- ポジション:一塁手
- 投/打:左投げ/左打ち
- 身長/体重:183cm/88kg
- 生年月日:1975年12月14日
- 出身:千葉県
- 経歴:習志野高→ロッテマリーンズ(1994~2019)
ロッテマリーンズ・福浦和也選手:プロ入り前の経歴
- 小学1年生から野球を始める
- 高校は地元の強豪・習志野高校に進学、1年からレギュラーで2年から4番に座る
- 高校2年秋からは最速142km/hでエースとしても活躍するも甲子園出場はならず
ロッテマリーンズ・福浦和也選手:プロ入り後の経歴
- 1993年のドラフト会議で地元・ロッテマリーンズから7位指名を受け投手として入団
- 1年目(1994):入団後すぐに右肩を故障、首脳陣から打者転向を打診され、7月より打者転向
- 2~3年目(1995~96):1軍昇格はなく、2軍で実践経験を積む
- 4年目(1997):7月に1軍初昇格・初スタメン・初安打を記録、以降3番・ファーストに定借し初本塁打や初サヨナラヒットを記録
- 5年目(1998):開幕からレギュラーとして出場、初の規定打席到達を果たし打率.284を記録
- 6年目(1999):スタメン出場が減り、終盤は外野も守る
- 7年目(2000):外野でのスタメン出場が多くなるも、初めてオールスターゲームに出場、打率.296を記録
- 8年目(2001):腰痛に悩まされながらもファーストのレギュラーに定着、打率.346で初タイトルとなる首位打者を獲得
- 9年目(2002):厳しいマークにあうも2年連続打率.300を達成
- 10年目(2003):3年連続の打率3割を達成、自身初のゴールデングラブ賞を獲得
- 11年目(2004):4年連続の打率3割を記録、史上初の3年連続40二塁打、通算1000本安打を達成
- 12年目(2005):再び腰痛に悩まされるも5年連続で打率3割を記録、2度目のゴールデングラブ賞を受賞
- 13年目(2006):デッドボールにより1ヵ月間離脱するも6年連続で打率3割を記録
- 14年目(2007):怪我の影響により規定打席に届かず6年ぶりに打率3割を切るも、守備では3度目のゴールデングラブ賞を獲得
- 15年目(2008):腰痛や首痛など故障に苦しみ、代打や指名打者での出場が増える
- 16年目(2009):3年ぶりに規定打席に到達、通算1500安打を達成
- 17年目(2010):指名打者として活躍、初のベストナインを獲得、通算100本塁打を達成
- 18年目(2011):不振に陥り8月以降はスタメンを外れることが多く、自己最低の打撃成績に終わる
- 19年目(2012):代打としての出場が増え、代打率.424を記録
- 20~24年目(2013~17):1軍での出場機会が減少、主に代打として活躍する
- 25年目(2018):1軍打撃コーチ兼任となり、通算2000本安打を達成
- 26年目(2019):2軍打撃コーチ兼任となるも2019シーズン限りでの現役引退を表明、9月23日に本拠地QVCマリンフィールドで引退試合が行われる
ロッテマリーンズ・福浦和也選手:1軍通算成績まとめ
年度 | チーム | 打率 | 安打 | 二塁打 | 本塁打 | 打点 | OPS | タイトル |
1997 | M | .289 | 63 | 8 | 6 | 23 | .770 | |
1998 | M | .284 | 132 | 32 | 3 | 57 | .741 | |
1999 | M | .277 | 71 | 15 | 3 | 35 | .717 | |
2000 | M | .296 | 132 | 21 | 7 | 56 | .756 | |
2001 | M | .346 | 156 | 30 | 18 | 67 | .974 | 首位打者 |
2002 | M | .300 | 148 | 40 | 9 | 66 | .820 | |
2003 | M | .303 | 172 | 50 | 21 | 76 | .863 | GG賞 |
2004 | M | .314 | 159 | 42 | 11 | 73 | .847 | |
2005 | M | .300 | 130 | 25 | 6 | 72 | .766 | GG賞 |
2006 | M | .312 | 136 | 20 | 4 | 52 | .752 | |
2007 | M | .258 | 102 | 20 | 4 | 57 | .669 | GG賞 |
2008 | M | .252 | 78 | 9 | 1 | 44 | .642 | |
2009 | M | .273 | 108 | 18 | 6 | 39 | .716 | |
2010 | M | .295 | 95 | 19 | 13 | 61 | .829 | B9 |
2011 | M | .223 | 80 | 13 | 3 | 43 | .582 | |
2012 | M | .250 | 45 | 3 | 0 | 25 | .575 | |
2013 | M | .229 | 32 | 5 | 0 | 17 | .528 | |
2014 | M | .283 | 26 | 2 | 0 | 15 | .681 | |
2015 | M | .272 | 47 | 3 | 2 | 21 | .691 | |
2016 | M | .244 | 20 | 2 | 0 | 7 | .579 | |
2017 | M | .224 | 30 | 7 | 0 | 18 | .592 | |
2018 | M | .210 | 38 | 4 | 1 | 11 | .505 | |
2019 | M | .000 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | |
通算 | .284 | 2000 | 388 | 118 | 935 | .749 |
※M:ロッテマリーンズ
※太字:キャリアハイ、赤太字:キャリアハイ&タイトル獲得、GG賞:ゴールデングラブ賞、B9:ベストナイン
ロッテマリーンズ・福浦和也選手引退:まとめ
ロッテ一筋26年、ヒットメーカーとして数々のヒットを放ち、6年連続で打率3割を記録、2000本安打も達成した福浦和也選手。首と腰に故障を抱えながらも、打席での存在感は最後まで衰えませんでした。
福浦選手は投手として入団しますがすぐに右肩を故障。そんな福浦選手を打者の道へと導いたのは当時二軍打撃コーチだった山本功児氏でした。
「初めて一軍に行く時にわざわざ朝早くからロビーで待って、見送ってくれた。よく怒られたし、打撃でも守備でもいろいろと指導をしてもらった。なによりも投手から野手への転向を勧めてくれたのが山本さん。今の自分があるのはあの人のおかげ。恩人だよね。思い出はありすぎるなあ」
引用:『最後の試合を前に……ロッテ・福浦和也が思い出す恩師・山本功児の言葉』文春オンライン
すぐに打者としての才能を見出し、野手転向を勧めた山本氏。彼がいなければ福浦選手の2000本安打はなかったかもしれませんね。
福浦選手と言えば振り子打法と呼ばれる独特な打撃フォームから類まれなるバットコントロールで難しい球もヒットにしてきました。
個人的に大好きな選手で、野球ゲームでは福浦選手を使いたいがためにロッテを良く選んでいたのを覚えています。
引退は残念ですが、今後は指導者として新たなヒットメーカーを育ててもらいたいですね。福浦選手、26年間お疲れ様でした。
以上、ロッテマリーンズ・福浦和也選手の経歴と通算成績まとめでした。最後までお読み頂きありがとうございました。
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