ファイターズ・田中賢介選手が引退表明!経歴と通算成績まとめ

みなさんこんにちは!あおな@aonalog)です。

日本ハムファイターズ・田中賢介選手が2019年シーズン限りでの現役引退を表明、同9月27日に本拠地札幌ドームで引退試合が行われます。

田中選手は、シェアで勝負強いバッティングと堅実な守備でファイターズを長年支えてきました。2013~2014年はメジャーにも挑戦しましたね。

この記事では、そんな田中賢介選手の経歴と通算成績を紹介します。

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日本ハムファイターズ・田中賢介選手:経歴まとめ

  • ポジション:二塁手
  • 投/打:右投げ/左打ち
  • 身長/体重:176cm/80kg
  • 生年月日:1981年5月20日
  • 出身:福岡県
  • 経歴:東福岡高→日本ハムファイターズ(2000~2012)→サンフランシスコ・ジャイアンツ(2013)→テキサス・レンジャーズ傘下AAAラウンドロック(2014)→日本ハムファイターズ(2015~2019)

日本ハムファイターズ・田中賢介選手:プロ入り前の経歴

  • 小学校2年より野球を始める
  • 高校は地元の東福岡高等学校に進学、1学年上には村田修一がいた
  • 高校通算3度の甲子園出場を果たし、第70回選抜甲子園では松坂大輔からヒットを放つ

日本ハムファイターズ・田中賢介選手:プロ入り~メジャー挑戦

  • 1999年のドラフト会議で日本ハムファイターズから2位指名を受け入団
  • 1年目(2000):二軍で打率.313を記録、9月にプロ初安打を放つ
  • 2年目(2001):開幕一軍入り、プロ初本塁打を代打で放つも1軍定着はならず
  • 3~6年目(2002~2005):故障の影響もあり1軍と2軍を往復
  • 7年目(2006):開幕一軍入りし、2番・セカンドでレギュラーとなり初の規定打席到達、打率.301、21盗塁、リーグ最多犠打(34)をマーク、ゴールデングラブ賞、ベストナインを獲得しチームの日本一に貢献
  • 8年目(2007):打撃不振も全試合出場、パリーグ最多記録となる58犠打を記録
  • 9年目(2008):全試合フルイニング出場、初の二桁本塁打を記録
  • 10年目(2009):選手会長に就任、1番・セカンドとして31盗塁をマーク
  • 11年目(2010):リーグ2位の打率.335、193安打をマーク
  • 12年目(2011):故障の影響で6月から1軍に合流できず
  • 13年目(2012):首位打者を争うも8月末に左腕を骨折、そのままシーズンを終える

日本ハムファイターズ・田中賢介選手:メジャー挑戦~日本ハム復帰

  • 2012年オフに海外FA権を行使してメジャー挑戦を表明
  • 2013年1月10日、サンフランシスコ・ジャイアンツとマイナー契約
  • 開幕はマイナーリーグで迎える、内野手では16エラーを喫しレフトへ転向となる
  • 2013年7月9日、メジャー初昇格し2番・レフトでスタメン出場、攻守に活躍した
  • 同7月29日に再びマイナーリーグへ降格、以降メジャー昇格はならず
  • 同9月にジャイアンツを自由契約、12月にテキサス・レンジャーズとマイナー契約を結ぶ
  • 2014年、マイナーリーグでの試合出場を続けるもメジャー昇格はならず、7月20日に契約解除となる

日本ハムファイターズ・田中賢介選手:日本ハム復帰~引退

  • 2014年12月16日、日本ハムファイターズが獲得を発表、古巣へ復帰となる
  • 16年目(2015):セカンドのレギュラーとして右肩を亜脱臼しながらも出場を続ける、得点圏打率.346、66打点をマークしベストナインを獲得
  • 17年目(2016):全143試合に出場しチームのリーグ優勝、日本一に貢献
  • 18年目(2017):先発を外れることが増えたが年間を通して1軍に帯同、通算200盗塁を達成
  • 19年目(2018):主に代打での出場となる、シーズンオフに2019年限りでの現役引退を表明
  • 20年目(2019):代打や指名打者でのスタメン出場を続ける、9月27日に引退試合が行われる
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日本ハムファイターズ・田中賢介選手:通算成績まとめ

  • NPB
年度 チーム 打率 安打 本塁打 打点 盗塁 犠打 OPS タイトル
2000 F .200 1 0 0 0 0 .400
2001 F .141 14 3 9 0 3 .502
2002 F .253 40 0 10 3 9 .646
2003 F .216 22 1 16 1 2 .572
2004 F .325 13 1 7 1 2 .947
2005 F .208 5 1 2 1 0 .654
2006 F .301 113 7 42 21 34 .773 B9
GG賞
2007 F .255 134 3 31 27 58 .665 B9
GG賞
2008 F .297 159 11 63 21 26 .830 GG賞
2009 F .283 163 3 49 31 17 .745 B9
GG賞
2010 F .335 193 5 54 34 7 .825 B9
GG賞
2011 F .290 58 1 10 8 2 .689
2012 F .300 137 3 32 13 8 .713 B9
2015 F .284 151 4 66 9 5 .704 B9
2016 F .272 147 2 53 22 3 .673
2017 F .252 79 2 18 11 0 .623
2018 F .295 31 0 8 0 1 .722
2019 F .255 39 1 16 0 2 .655
通算 .282 1499 48 486 203 179 .720

※F:日本ハムファイターズ
太字:キャリアハイ、B9:ベストナイン、GG賞:ゴールデングラブ賞

  • MLB
年度 チーム 打率 安打 本塁打 打点 盗塁 犠打 OPS タイトル
2013 SF .267 8 0 2 2 0 .620

※SF:サンフランシスコ・ジャイアンツ

  • 日米通算
打率 安打 本塁打 打点 盗塁 犠打 OPS
.282 1507 48 487 205 179 .710

日本ハムファイターズ・田中賢介選手引退:まとめ

野球選手に故障はつきもので、田中賢介選手もまた故障に泣かされた選手の一人でした。特に日本球界復帰1年目の2015年は、右肩を亜脱臼しながらも痛みのないポジションを探し、試合に出場し続けました。

【プロ野球パ】腕を振れない状態でも光る走塁、田中賢介が一塁からタッチアップ 2015/05/31 F-D

田中選手はチャンスにめっぽう強く、得点圏では毎年高打率をマーク、長打が少ない選手でしたがクリーンナップを打つこともしばしばありました。

また、堅実な守備を見せていた田中選手でしたが、若いときは守備がうまいとは言えない選手でした。

3球団競合の俊英は守備に問題を抱えていた。実際は「捕るまで」だって危なっかしかったのだ。が、「捕ってから」はもっとだ。あれはイップスの類だったのかなぁ。暴投また暴投。2軍戦でほぼ毎試合エラーしていた。賭けてもいい。あのとき、「ATSUZAWA 19」「IKOMA 13」「KOMAKI 41」も賢介が後に名手と呼ばれるなんてこれっぽっちも思わなかった。ていうか、鎌ケ谷の常連は皆、こりゃダメだと思っていた。

引用:『僕らはいつも「輝く賢介」を待っている――ファイターズ・田中賢介という内野手の回想』文春オンライン

ここまで言われていた選手が5年連続でゴールデングラブ賞を獲得するのだから、努力することがどれだけ大事かわかりますよね。田中選手はまさに『努力の天才』と言えるでしょう。

メジャーリーグにも挑戦した田中選手、今後はその経験を活かして指導者として活躍が期待されます。田中選手、20年間お疲れ様でした。

以上、日本ハムファイターズ・田中賢介選手の経歴と通算成績まとめでした。最後までお読み頂きありがとうございました。

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