ヤクルト・寺原隼人選手が引退表明!経歴と通算成績まとめ

みなさんこんにちは!あおな@aonalog)です。

2019年9月17日、ヤクルトスワローズの寺原隼人選手の現役引退が発表されました。

寺原選手は、ドラフト1位でソフトバンクホークスに入団後、横浜ベイスターズ、オリックスバファローズ、ヤクルトスワローズと4球団を渡り歩いた剛腕です。

この記事では、そんな寺原隼人選手経歴と1軍での通算成績についてまとめています。

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ヤクルトスワローズ・寺原隼人選手:経歴まとめ

  • ポジション:投手
  • 投/打:右投げ/右打ち
  • 身長/体重:179cm/86kg
  • 生年月日:1983年10月9日
  • 出身:宮崎県
  • 経歴:日南学園高→ソフトバンクホークス(2002~2006)→横浜DeNAベイスターズ(2007~2010)→オリックスバファローズ(2011~2012)→ソフトバンクホークス(2013~2018)→ヤクルトスワローズ(2019)

ヤクルトスワローズ・寺原隼人選手:プロ入り前の経歴

  • 小学3年のとき地元の少年団で野球を始め、5年生からエースに
  • 中学は軟式野球部に所属、3年時に全国大会出場
  • 高校は日南学園高校に入学、3年春にストレートがMAX153km/hを記録
  • 3年夏には甲子園に出場、当時の甲子園記録となる154km/hを計測し話題に
  • IBAFワールドカップに日本代表として出場、高校生が同大会で選出されるのは史上初であった

ヤクルトスワローズ・寺原隼人選手:プロ入り後の成績

  • 2001年のドラフト会議、4球団競合の末、地元のダイエーホークス(現ソフトバンクホークス)にドラフト1位で入団
  • 1年目(2002):4月にプロ初登板、4月末にはプロ初勝利を挙げるなど5勝1Sを記録
  • 2年目(2003):1年目を上回る7勝をあげるも制球難に苦しむ
  • 3~5年目(2004~06):1軍と2軍を行ったりきたりで目立った成績を残すことができず、06年シーズンオフに横浜ベイスターズ(現DeNAベイスターズ)へトレードとなる
  • 6年目(2007):開幕から先発ローテーションを守り続け、チームトップの12勝をあげる
  • 7年目(2008):シーズン途中からクローザーに配置転換、22セーブを挙げる
  • 8~9年目(2009~10):故障が相次ぎ1軍に定着することができず、10年オフにオリックスバファローズへトレードとなる
  • 10年目(2011):開幕からローテーション入りし、12勝を挙げる
  • 11年目(2012):相次ぐ故障で登板機会が限られるも6勝を挙げ、オフにFAでソフトバンクホークスへ復帰となる
  • 12~17年目(2013~18):古巣に復帰するも目立った成績を残せず、リリーフへ転向しまずまずの成績を残すも18年に戦力外通告を受け、ヤクルトスワローズへ移籍となる
  • 18年目(2019):先発で2勝を挙げるも7月3日を最後に登板が無く、9月17日、現役引退を発表
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ヤクルトスワローズ・寺原隼人選手:1軍通算成績まとめ

年度 チーム 試合 防御率 S H 奪三振
2002 H 14 3.59 6 2 1 41
2003 H 18 5.48 7 5 0 60
2004 H 6 7.56 0 0 0 7
2005 H 2 9.00 0 0 0 0 2
2006 H 16 4.23 3 7 0 0 35
2007 DB 27 3.36 12 12 0 0 163
2008 DB 41 3.30 3 9 22 1 66
2009 DB 13 3.90 2 7 0 0 77
2010 DB 20 3.67 4 3 0 0 42
2011 B 25 3.06 12 10 0 0 112
2012 B 16 3.92 6 8 0 0 61
2013 H 16 4.65 4 7 0 0 56
2014 H 5 4.88 1 4 0 0 14
2015 H 21 3.44 8 3 0 2 58
2016 H 14 4.05 2 1 0 2 10
2017 H 24 4.25 1 2 0 3 28
2018 H 21 2.39 0 0 0 4 20
2019 S 4 6.19 2 1 0 0 9
通算 303 3.88 73 81 23 12 861

※H:ソフトバンクホークス、DB:DeNAベイスターズ、B:オリックスバファローズ、S:ヤクルトスワローズ
太字:キャリアハイ

ヤクルトスワローズ・寺原隼人選手引退:まとめ

寺原隼人選手は高校時代から剛速球投手として名をはせ、プロ入り後は4球団にわたって活躍しました。

松坂大輔氏の高校での球速を上回ったことから、常に注目を浴びた寺原隼人選手の高校時代。

プロでの実績は松坂に及ばなかったが、高校時代の最速を、”おとなしく”松坂以下に抑えていればどうだっただろうか……それでも寺原は、この01年に開かれたIBAFワールドカップの日本フル代表に、史上初めて高校生として選ばれている。それは松坂さえなし得なかった偉業である。

引用:『寺原隼人が振り返る高校時代。「もし最速を出していなければ……」』YAHOO!JAPANニュース

それでも松坂氏すら成し遂げられなかった史上初のプロアマ合同日本代表に選ばれました。

寺原選手はプロ入り後から18年間、1度も1軍登板のない年が無く、毎年何らかの形で1軍のマウンドに立ち続けていました。18年もの間、毎年1軍での登板を続けることは並大抵のことではありません。

今年も先発として2勝を挙げていた寺原選手、個人的にはまだまだやれると思っていたのですが…。寺原選手、18年間お疲れ様でした。

以上、ヤクルトスワローズ・寺原隼人選手の経歴と通算成績まとめでした。最後までお読み頂きありがとうございました。

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